教会へ来るようになったキッカケ



【Aさん】
 大学生の時に受洗して、社会人になってからというもの、仕事、育児にかまけて、教会にも行かず神様をすっかり忘れている毎日でしたが、やっと公私ともに少し余裕が出てきたころ、ふと、駅から見える教会が目に留まり、時々礼拝に出てみるようになりました。そして、讃美歌の歌える幸せを再確認。思えば、楽しかった思い出いっぱいの幼稚園はカトリック系の幼稚園、その後、近所のお姉さんに誘われて、教会に行きました。そして、ミッション系の大学に入り、また誘われるように礼拝に出るようになりました。讃美歌の魅力が大きかったと思います。
 このごろよく思うことは、幼稚園の時、小学生の時、そして、大学生になってもキリスト教、教会につらなったのは、やはり神様がずっと捕らえていてくださったのだと。ながーい放浪生活の時も神様は私を突き放さず見守っていてくださり、時を待っていてくださったのだと。これからも神様の御心にお任せして歩みたいと思います。

【Bさん】
 20代の初め良い人間になりたいという思いが強くあり、思えば思うほど自分の内面から嫉妬、妬みがどうしようもなく湧き出てくる現実に暗澹たる思いでした。藁をもすがる思いで教会のある場所を探し、行ったのが都内のある教会でした。教会の人たちの明るい表情を見てその明るさは何処から来るのだろうか?私もあのようになりたいと思いました。
 牧師先生から「騙されたと思って一年間通いなさい。」と言われ、礼拝と入門講座に通いました。一年間経った頃、洗礼を勧められ、「まだキリスト教のことは分かりませんので。」と躊躇したのですが、「分かったから洗礼を受けることではないのです。『私に従いなさい。』と言う神様の言葉に『はい』と返事をすることが洗礼です。」と言われ、また神様はこのままの私を愛してくださることを説教で聞き、それなら私も「はい」と返事をし、洗礼を受けました。
 下を向いて自分の内面を覗くと暗くなってしまいます。しかし頭を上げ神様を見上げると希望があります。そして、自分ではどうすることもできない弱さを誇ることができる。そこに神様の力が働いて下さる。なんとうれしいことかと思います。


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